こんにちは。
ぼんやりスズメです。
父の要介護認定の申請をすることになりました。
見守ってきた母の負担が大きくなってきたので踏み切ることにしたのです。
申請するにあたっては、父の現状を診断した結果が必要になってきます。
ということで、ついにきちんと認知症の診断を受けることになりました。
(これまでは家族の見立てでした。)
その際に私が一番悩んだのは、本人にどう言って診断に連れ出せばいいのだろう??ということです。
本人が自分の意志で受診したいというのなら問題ないのでしょうが、そういうわけではない場合はどうしたもんだか。
「それって、けっこう気を遣うとこだと思いませんか?」
今回は、我が家の場合はどのように診断に連れて行ったのか、父の言動やその後の様子なども含めて書いてみました。
本人の症状や性格などによっても色々だとは思いますので、ほんの一例にしかなりませんが、似たような状況にある方の何かの参考していただけたら嬉しいです。
- かかりつけ医もいない父の場合 まずは病院探し
- 診断をしに行きたくない父をどう説得するか?
- 心がけたことは「嘘は言わない」「希望がないような言い方はしない」
- 診断の当日 行きたくなさ過ぎて?体調が悪くなる父
- 後日、脳の画像を撮るために総合病院へ
- 総合病院でMRIとSPECTを受ける
- 脳外科という文字に反応か? 気力が弱ってしまった父
- 更なる検査はひとまず保留にすることにしました
- 父の前で認知症というワードは出さないことに
- むすび
かかりつけ医もいない父の場合 まずは病院探し
幸いなことに、これといった持病もなく病院には縁のない父。
よって、主治医もいませんし、かかりつけ医と呼べる方もいません。
そのことは、要介護認定の申請をする上で少々手間がかかる要因となりました。
というのも、申請する際には、主治医の意見書が必要になるのです。
※ちなみに、かかりつけ医がいる場合は、その先生に意見書を書いていただくようにお願いするのが普通のケースとのこと。(内科であれば、認知症である旨も書いていただける場合が多いそうです。)
なので、まず父の場合は。
- 認知症の診断をしてくださる病院を探す
- 主治医になってくださった先生に意見書を書いていただく
という流れが必要でした。
では、どの病院で診ていただくことにするか??
まずはこの段階で右往左往しましたが、結局のところ、電車で数駅の所にある精神科のクリニックでお世話になることにしました。
※病院探しの際に起きた顛末も書くとさらに長くなりますので(^0^;)別の機会にでもまとめようと思います。
診断をしに行きたくない父をどう説得するか?
認知症の診断をしていただく病院を決める、という第一の壁は乗り越えました。
次に悩ましいのが、本人にどう言ってクリニックに連れて行くか?です。
実はこちらの方が大きな壁かもしれないと、私は思っていました。
本人は、自分が物忘れがはげしくなっていることに気がついています。
自分の頭がパーになってきた、と嘆くようになっています。
周りに迷惑をかけていると言うこともあります。
と同時に、「自分はまだちゃんとしている」とも言います(;'∀')
どうやら家族が自分を病院(認知症の診断)に連れていこうとしているらしい、というのは気配でわかるようで「どこも悪くない」「心配なところはない」「歳相応である」などとも言ってきます。
「だから、病院なんて行く必要がない」のだそうです。
だますようにして連れて行きたくはないし・・・。
かといって「認知症検査に行こう」とストレートに話すことがいいとは思えないし。
きちんと説明してもすぐに忘れてしまうだろうし。
心がけたことは「嘘は言わない」「希望がないような言い方はしない」
悩んだ結果、何をしにクリニックに行くかは説明しておこう。であれば・・・。
- 嘘は言わない(ただし、ちょっと真実を曲げるのはよしとする)。
- 希望がないような言い方はしない。
この2点を念頭に置きつつ話してみることにしました。
実際には、こんな会話になりました。
お父さんの住む○○市では、高齢者をサポートするサービスがあるんだって。
将来、寝たきりにならないよう、介護予防に力を入れているらしいよ。
俺は高齢者なのか?
そうよ。85歳だから立派な高齢者ですよ。
そうだったか。いやぁありがたいね。市ではそんなことをやってくれるのか。
そのサービスの中には、運動をするプログラムもあるんだって。
お父さんは、ありがたいことに足腰が元気でしょう。
せっかく元気なんだから、その力を衰えさせないようにも、運動をしに行けるよう頼んでみたよ。
いいね。俺は運動は大好きだからな。今はなかなか外に行けないから、ちょうどいい。
ただ、運動プログラムを受ける前に、健康診断が必要なんだって。
健康診断? 何かダメなところが見つかったら行けなくなるの?
お父さんは健康だし大丈夫だと思うけど、一応ね。
運動している最中に倒れたりしちゃ大変だから、事前にチェックしておいてほしいんだろうね。
わたしはほら、体は大丈夫なんだけど頭がよくないんだ。頭も調べるんじゃないのか?
お父さん、最近、かなりの物忘れがあるって言ってたでしょ。だから、頭も調べてもらうよ。
父・苦笑 (ああ、そういうことか・・・と察したようで、黙る)
それで、○日に診断をしてもらえるよう、予約しましたよ。
お母さんも一緒に行く予定だったけど、体調が悪いからその日はべつの病院に行くことになったから、私がご一緒しますよ。
A あんたが来てくれるのか。迷惑かけるねぇ。
B 別にいいよ、行かなくても。お母さんが行ける日に一緒に行けばいいじゃないか。
最後の父の返事はAだったり、Bだったり(笑)。
もちろんすぐに忘れてしまいますが、これを、診断に行く日までの間、折を見て話すようにしました。内容は家族で統一しておきました。
「すぐに忘れてしまうのだから、いちいち説明しても仕方がないのでは?」
そう思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
ただ、父にとって「状況説明を受ける」ということは嬉しいようなのです。
自分はないがしろにされていない、と実感できるからなのかな?と私は感じています。
なので、その一瞬だけしか覚えていないとしても必要なことだと考えました。
また、何度も話していると、かすかに覚えているところもあるようで・・。
「そうか?そんなこと言ったか?」と不審がりながらも「聞いたような気もするな」と機嫌を直していくこともありました。(まぁ本当に覚えていたかは謎ですが。)
診断の当日 行きたくなさ過ぎて?体調が悪くなる父
当日がやってきました。案の定、父は自分がクリニックに行くことは忘れています。
母から「クリニックに行くのだ」という話をされも「そんなことは一切聞いていない」と不機嫌になっています。
私の方から、これまでにも何度も繰り返してきた一連の説明をします。
一応娘が話す内容に関しては信じてくれるようで、しぶしぶ動き出します。
道中しきりに、「今日は何月何日だっけ?」とか「どこに住んでると言えばいいのか?」など確かめてきます。
どうやら、診断では記憶力を試されるようなことをされる、ということを察しているようなのです。
そのような検査をするともしないとも何も伝えていないのに。
ところが駅の改札で、父の足が止まってしまいました。
「とても具合が悪い。」
「足が動かない。」
「今までにないような気分の悪さだ。」
嘘を言っているわけではなさそうで顔色も冴えません。
行きたくなくて言い出したのだろうか?と一瞬思いましたが、本当に熱中症になってしまったのかもしれない!!と焦りました。
水分補給をしながら、しばらく日陰のベンチで休憩。
「熱中症になっちゃったのかな?」
「なんだか、味わったこともないような気分の悪さなんだよな。行ってもなんにもわからないよ。きっとこれは。」
しばらく冷静に父の様子をうかがってみたところ、断定はできないものの、どうも診断が心底嫌で、それで気分が悪くなってしまっているように思えます。
こんなに嫌がるのならばキャンセルしたほうがいいのだろうか?
そこまで無理をするようなことでもないし。
私が思い悩んでいると、本来の父が戻ってきました。
「悪かったね。せっかく来てくれたのにね。大丈夫だ」
「どうしようか。とりあえず行くだけ行ってみる? 予約しちゃったし。何か聞かれてもさ、今日は気分が悪いからわかりませんって堂々と言っちゃえばいいよ」
「そういうわけにもいかないだろう笑」
「なんだったんだろうな、こんなこと初めてだ。足が重くて動かなくなったのよ。」
「なんだったんだろうね。じゃあ、行こうか。いざとなったら私が隣で答えを教えてあげるよ。」
「あんたも、わかんないかもしれないよ。」
いつもの調子が戻ってきました。
クリニックに到着後、検査(長谷川式認知症スケール・MMSE)を受けた父。
そして無事に終了。
検査中は気分が悪いとか疲れたなどは全く言い出さず、懸命に取り組んでいました。
そして帰宅の途につく頃には、診察をうけたこともほぼ忘れていました。
後日、脳の画像を撮るために総合病院へ
クリニックでの診断を終え、主治医も決まりました。
でもまだ診断結果は出ません。
認知症の診断の場合、脳の画像も必要だそうです。
画像をとるための機械がそのクリニックにはないので、提携している総合病院に紹介状を書いてもらい、後日MRIと脳血流を診るSPECTという検査をしに行くことに。
それら画像の結果とクリニックでの検査結果とを併せ、総合的に判断されるのだそう。
今度は機械の中に入る検査のようです。事前に正直に話しておくことにしました。
○日には、もう一回、検査しに行きますよ。
何をしに行くんだ?
この間受けた検査で、調べられなかったところを見るんだって。頭の中を見る機械を使うらしいよ。寝てればいいだけだって。安心してね。
頭の中か? 悪いかどうか見るのか? いいよそんなの見なくたって。
めったにない機会だからチャチャッとうけちゃいましょう。私もご一緒しますよ。
A あんたが来てくれるのか。迷惑かけるねぇ。
B もういいよ。見たってしょうがないんだから。嫌だよ。
やはり最後の父の返事は、AだったりBだったり。決まってません。
そして、検査当日。
「行かなくてもいい」やら「なぜ行くのか」やら「聞いていない」と不満そうでしたが、迎えに来た娘たちへの申し訳なさ、ただ一点だけで、不承不承ながら向かう、という感じでした。
総合病院でMRIとSPECTを受ける
この検査が、父にとってはとてもキツかったようです。
それぞれ30分弱ほど機械の中で寝ているタイプの検査方法でした。
本人は検査の説明を受けてもすぐに忘れるので、途中で、なぜこんなことをしているんだろう?という疑問が発生してしまうのでしょう。
動いてはいけないのに動いてしまい、最初からやり直し。
予定の時間よりも、かなりかかっていました。
検査を終え、私達が待っている所に歩いてきた父はフラフラでした。
そしてこの日は、MRIとSPECTの検査だけのはずだったのですが、脳の血管に小さな詰まりが発見されたとのことで、急遽、脳外科の先生からの説明を受けることに。
脳梗塞の超初期の段階のようだとのことで、後日、頸動脈や心臓のエコー検査を受けることになりました。
もちろん、疑わしいものが早期に発見されたことはよかったのですが・・。
今回の検査で相当へばった父。次回の検査も乗り切れるだろうか?
そちらの方が心配になってきます。
脳外科という文字に反応か? 気力が弱ってしまった父
2,3日後。母から電話がありました。
MRIとSPECTの検査以来、父の元気がなくなってしまったというのです。
「どうせ俺はもうすぐいなくなるから」とか、楽天的な父にしてはずいぶんネガティブになっているとのこと。
そして、食欲がないとのこと。どんな時でも食欲旺盛の父なのに!
検査疲れが尾を引いているのか? あるいは夏バテか?とも思いましたが、母曰くどうもそうではなさそうだとのこと。
「生きていてもしかたがない」などと言ったりもしているのだそう(^0^;)
今まで見たことのない父の様子に心配になった母。
検査に行くことが気力をなくすことに繋がり、かえって弱ってしまっては本末転倒。
次の検査はキャンセルしたいと言ってきました。
そういえば父は、総合病院の脳外科の待合室で待っている時から、掲げてある「脳外科」というパネルに大注目していました。
気になって仕方なかったようで「なぜ、自分は脳外科にいるのか?」「脳外科ということは、頭のどこかが悪いのか?」という質問を何度も私にしていました。
でも、その時は私自身も予期していなかった展開にびっくりしてしていて、父に対して、わかりやすく説明をすることができませんでした(>o<)
とはいえ、この時のこともすぐに忘れてしまうのでは?と思っていました。
でも不安な気持ちだけはしっかり残ってしまったのかもしれません。
認知症の人は、聞いたり見たりした内容は忘れても、その時に感じた不安や嫌な気分だけは残ると言います。それはこちらの本で学びました。
色々と忘れてしまうだろうから別に大丈夫だろう・・・などと思わずに、むやみに不安を生じさせるようなことはなるべく取り除いてあげないとなと思った出来事でした。
更なる検査はひとまず保留にすることにしました
結局のところ、頸動脈と心臓のエコー検査はしてきました。
絶好調とまでは言いませんが、そこそこ気力は回復してきましたので、家族で父の気分を盛り立てながら、連れて行きました。大きな抵抗はありませんでしたが、検査に向かう足はとぼとぼとしたもので心が痛みました。
※ちなみに、結果は問題なし。本来だと別の検査が必要なのですが、父の年齢や気力の弱り具合などを鑑みて、あらたな検査はひとまず保留するということにしました。
父の前で認知症というワードは出さないことに
クリニックの受付の方によれば、認知症検査を受診しにくる方の中には、父のような方は結構いらっしゃるとのこと。
家族が「健康診断をやってもらおう」と連れてきても、「メンタルクリニック」とか「精神科」という看板を見たとたんに気づき、怒って帰ってしまう方もいるのだとか。
疑心暗鬼の気持ちでいる当事者にとっては、ピンとくるワードなのでしょう。
ちなみに、診察をうけるにあたっても、ちょっとした工夫をしておくといいようです。
このクリニックの場合は、同行する家族の方が問診票を提出する際に、本人との対応での注意点などをメモにまとめて一緒に渡しておけば、スタッフの方々、そして先生も、診断前に目を通し、それに沿った対応してくださっているとのことでした。
なので、私は「<認知症>というワードにナーバスになっているので、本人の前ではストレートに出さないでほしい」ということを事前にメモにして渡しておきました。
病院やクリニックの方々は、慣れっこになっているせいか、かなり平然と本人の前で口にします。気になる方は配慮してもらえるよう、事前にお願いしておくほうがいいと思います。
むすび
今回の父の反応は、想定内のことも想定外のこともありました。
診断に行くことを嫌がるのは想定内でした。
歳も歳ですのでそれなりに覚悟しているように見えるところもありますが、揺れる心境もあるのでしょう。
認知症だと断定されることで、今の生活が変わるのではないかと恐れているように思えます。もちろん私の勝手な見立てですが。
想定外のことは、「診断を受けに行きたくない。嫌だ。」という気持ちが心身にまで悪影響を与えてしまうことでした。
ここまで父の気力が弱ってしまうとは思いませんでした。
「病は気から」の言葉をリアルに感じました。
それから改めてわかったこと。
それは、状況も、理由も、何をやっているかも、すぐに忘れてしまう人にとって、検査や診断などは、不安だらけになるものなのだということ。
そうであるならば・・・。
自分で状況が理解できるうちに診断を受けておくほうがいいのかもしれない。
ただ、早めに知る勇気を持てるものだろうか???
父の背中を見せてもらいながら、いつのまにか自分自身の将来にも思いを馳せる今日この頃になっています。
今日も長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
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