こんにちは。ぼんやりスズメです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
みなさまはどんなお正月をお過ごしでしたか?
我が家では、元旦に父が突然意識を失い救急車で運ばれるというアクシデントが発生。
波乱の年明けとなりました。
幸い意識も戻り、検査の結果これといった原因が見つからずで、その日のうちに帰宅。
現在は、倒れる前と同じように暮しています。
※両親は共に80代。認知症の父を母がフォローしながら過ごしています。
いったい父に何が起きたのか?
「よくわかりません・・。近日中に改めて病院に行く予定です。」
父のことはまたの機会に書かせていただくとして。
今回は、救急車を呼んだ母との会話を(ざっくりではありますが)書こうと思います。
というのは、当日や後日、その時の話を母から聞くにあたり、なるほどなぁと感じるところがあり、心に留めておこうと思ったからです。
できるなら体験したくないことではありますが、何かの参考になるようなら幸いです。
- 突然、意識を失い倒れた父
- アナログだけど、あって良かった「連絡ボード」
- 固定電話と倒れている父との間での行き来が大変だった
- 帰りの服のことは考えられなかった
- このことを機にあらためて気づいたこと
- むすび
突然、意識を失い倒れた父
コロナもインフルも蔓延していた年末年始。
何か身に起きても病院で診てもらうことは困難になるであろう。とにかく気をつけて過ごそう!! を合い言葉に過ごしていた高齢の両親。
元旦は静かに過ごす、ということで二人だけで過ごしていました。
ところが昼間。父が突然意識を失い倒れました。初めてのことです。
呼んでも叩いても意識が戻らない父の様子を見て、救急車を呼ぶことを決めた母。
救急車のお世話になるのも初めてのことです。
私は自宅にいて救急隊の方から連絡を受けました。それだけでもう心臓がバクバク。
搬送先の病院を聞いても、どう行動していいのかわからなくなってしまったほど。
自分がそんな有様だったので、母はよく対応できたなぁと思います。
アナログだけど、あって良かった「連絡ボード」
救急隊の方から連絡をもらった時、私はこんなふうに思いました。
「母がものすごく動揺して、娘に連絡もできない状況になってしまったに違いない」
でも、そうではなかったようです。
搬送先の病院でおちあった母と、こんな会話をしました。
「私は(救急車の中から)あなたたちに連絡するつもりはなかったんだよ。でも『奥さんもご高齢なのでお子さんに連絡します』と言われてね。」
「そうだったんだ。それにしてもよく私の電話番号を伝えられたね。動揺してわからなくなったりしなかった? 」
「連絡先のボード、あってよかったよ。家を出るときに救急隊の人が『そのままボードを持って行きましょう』と言ってくれて。救急隊の人がそれを見ながらかけてくれたんだよ。」
「連絡先のボード」というのは、娘宅の住所&電話番号をはじめ、両親がいざという時に必要になると思われる連絡先を大きく書いた紙で、私が作った簡単なものです。
ふだんは固定電話のそばに置いてあります。
A3タイプのクリアファイルに挟んであるので、見えやすいように立てかけられます。
冒頭に大きく「警察は110番」「救急車も火事も、どちらも119番」と書いてあります。
今回は、そのボードが色々と役に立ったようです。
ちなみに、母は自分のスマホを持っていますが、肌身離さず、という感じではありません。救急車にもスマホを持つことなく乗ったようです。(そうだと思い、私も連絡をしませんでした。)
固定電話と倒れている父との間での行き来が大変だった
自宅の固定電話から119番に電話した母。
父の状況を伝えたところ、「呼吸をしているか、確認をしてください」とか「声をかけてみてください」など、色々なアドバイスをされたそうです。
「お父さんの様子によって、救急隊が持っていく器具とか、人数とかも変わるんだって。でも狭い廊下のとこで倒れているから、ちゃんと確認できなくて困ったよ」。
「それで、なんて伝えたの?」
「息をしているかどうかもよくわからないです、と言ったら、今、そちらに向かいましたので大丈夫です、と言ってくれた。」
「お父さんが倒れた場所が、電話から離れていたから、何か聞かれる度に ちょっと待ってください、と言って、行ったり来たりで大変だった。それに時間とってしまって119の人にも申し訳なかった・・・。」
この件で、母もようやくスマホを身近に置いておく必要性を実感したようです。
ただ現実的には、日常的に使っていないと、こんなときは特に、スマホでの対応は難しいかと思います。
帰りの服のことは考えられなかった
ほとんどパジャマ姿で搬送されていった父。
その日のうちに帰宅できることになったのは良かったのですが、いざ帰るとなった時、あまりに無防備な姿で帰らなければならないことに気づきました。
上半身は、私が念のため羽織り物を持参していたので着せましたが、下半身はパジャマのまま。スカスカ状態です(^0^;)
母は家を出る時に、その姿では寒かろうと父の服の心配をしたようですが、救急隊の方から「お子さんが、車で来ると言ってたので、大丈夫でしょう」と言われ、取り急ぎ救急車に乗り込んだそうです。
娘の車、という帰り(移動)の手段をキープできているから、どんな格好(状態)でも、なんとかなると思いますよ。という意味だったのだと思います。
「それに一刻を争うときだし。服どころじゃないわな」
しかし間が悪いことに、我が家の車はちょうど修理に出していたために、病院へは代車できていた軽自動車で向かうことに。
それも、運転者以外には一人しか乗れないようなタイプのもの(^0^;)
ということで、父の帰宅時にはタクシーを利用することになりました。
この時にありがたかったのは、防水シートとタオルでした。
これらは病院内で使っていたものを、そのまま使わせていただきました。
(防水シートは、粗相に備えて座布団のように。タオルは膝掛けにして使わせてもらっていました。)
我が家の車にならともかく、タクシーのシートを濡らしたりしては申し訳ありません。
万が一に備え、防水シートを敷いた上に、腰にタオルを巻いた姿で乗り、無事に帰宅することができました。
寒さ対策のことばかり頭がいってましたが、すぐにトイレに行けない場合のことも考えなければいけなかったのでした。私もまだまだです(>o<)
「帰宅できたってことだけで幸運と思わなきゃ。そんなことは二の次のこと。」
確かに二の次のことなんですけど・・・。
帰宅後に母の間でこんな会話があったことを覚えておこうと思います。
「帰りは自分で帰るんだってことに頭が回らなかったよ。」
「私もだよ。厚手のバスタオルや、ズボン類を持っていけば良かったのかもね。」
このことを機にあらためて気づいたこと
両親ともに細かい不調は色々とあるものの、年末年始も淡々と過ごすことができるだろう。
なんとなくそんな感覚でいましたので、今回のことは驚愕の出来事でした。
でもやはり、突然なにがあってもおかしくない歳なんですよね。
そんなことよく考えれば当然のことなのに、どこかで「まだなんとか大丈夫だろう・・」と思っている自分がいました。
現実を見ることがまだできていないことを知りました。
もうひとつ知ったこと
救急外来の待合室で父を待つ間にも、搬送されてくる方が大勢いました。
いつも以上に人手が足りないだろうに、お医者さんや看護師の方々が懸命に受け入れてくださっていました。
そして外では、救急隊の方が救急車に乗ってスタンバイされていました。
元旦でも(もちろん、元旦だけではありませんが)こんなふうに命を守ろうと尽力してくださる方々が大勢いるのだなぁ・・と改めて知り、頭が下がる思いでした。
むすび
そんなこんなでお正月気分はしょっぱなから吹っ飛んだ2023年のスタートでした。
でも、地域によっては、急病になっても救急搬送先がなかなか決まらないという大変な状況が続いていますよね。
そうしたご時世にもかかわらず、父は迅速にうけいれてもらえることができました。
それは本当にありがたいことでした。
・・・とまぁ、2023年はじめのブログなのに、なんだか気持ちがザワザワする話でスタートしてしまいましたね。申し訳ありません。
最後にちょっとこちらの写真をみていただこうと思います。
お皿を洗った後のシンクに残った洗剤の跡なんですが・・・。
スマイル的なものと、末広がりの数字の8(笑)的なものが見えてきませんか?
見つけた時、気持ちがあがりました(^o^)
色々考えると、不安なことも多々ありますが、良いことの方に目を向けて、気持ちを盛り上げながら乗り切っていきたいと思います。
今年もどうぞよろしくおつきあいください。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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