ぼんやりスズメです。
84歳の父がいます。
真面目で融通が効かないタイプですが、穏やかで楽天的。
リタイヤ後はよく喋るようになりました。お喋りな母に対抗するためらしいです。
おこもり生活が続いたこの1年で、認知症が進んでしまったように感じます。
今は1秒前のことも覚えていません。
瞬間瞬間の会話は絶妙にできます
「今、この瞬間」の話題であれば、普通に会話を楽しめます。
娘とのおしゃべりということで、シャキッとするのもあるかもしれません。
「最近、どう?体調崩していませんか?」
「体調は大丈夫なんだけど、頭がパーになっちゃって 全部忘れちゃうのよ」
「84歳だもん。忘れるのが普通じゃない?」
「俺84なのか?長く生きるのもいいもんじゃないよ。もうそろそろあの世にいくから」
「食欲はありますか?」
「ある!! 何を食べても美味しいよ」
「食欲ある人はそう簡単にはあの世にいきません」
「そうか? 今日は何か食べたかな? なんにも食べてないぞ??」
ここまではまぁいつもの父です。昔からこんな感じの人です。
母から聞いていたことを尋ねてみました。
「そういえばお父さん、そこが自分の家じゃないように思っちゃうんでしょ?
どうしてそんな気持ちになるんだろうね?」
「どうしてここにいるのかわからないんだ。ここは俺の家じゃないだろ?
でも、どこに行けばいいかもわからない・・」
突然 不思議な会話になります
母方の祖母がやはり認知症で、夕方になると似たようなことをよく言ってました。
「ここではない」と思ってしまう背景には、どんどん忘れていくことで、自分の中に確実なものを感じられなくなってくる不安や恐れの気持ちがある。
その気持ちは、焦るような気持ちや、せきたてられるように気持ちに繋がる。
それで、ここではないどこかへという気持ちになるのかもしれない。
そんなふうに祖母をみてくれていたグループホームの方に
教えてもらったことがあります。
「だって、どんどん歩いて行方不明になったのを見つけてもらっただろ」
「え???行方不明なんかなったことありませんよ。すごいストーリー考えたね」
「そうか?でもいなくなった方がいいと思ってるだろうから」
「え?!誰もそんなこと思ってないって。いなくなったら、みんな心配で泣いちゃうよ」
「遠くにいるからそう言うかもしれないけど
近くにいる人は手がかかるから、いないほうがいいだろう」
突然 突拍子もない話になりちょっと驚きます。
心の中の不安や負い目がそういうストーリーを作り上げているようです。
忘れていくことに気がついている父
不思議な話がずっと続くわけでもありません。
「コロナで刺激がない生活だもん。
つい、いろんなこと考えちゃうのかもしれないね。」
「きっとそうなんだな。いろんなこと疑う気持ちが出てくるんだよ」
「そうじゃないんだ、とは思ってるけど、頭がどんどん疑っちゃうんだよ。」
「今はまだいいけど、そう思わなくなったらと思うとね・・」
「引っ越しも多かったし、色々と頭が混乱しちゃうのかもしれないよ」
「そうなんだよな。本当に自分が今までどうしていたかも
全くわからなくなっちゃうのよ。わからないっていうのはほんとにつらいよ。
あんたも覚えておきなさいよ。」
あちらとこちらとの狭間で揺らいでいる父が身をもって教えてくれること。
切ないけどしっかり覚えておこうと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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