ぼんやりスズメです。
両親の様子を見に実家へ行ってきました。
といっても今回も家の中には入らず玄関で様々な物のやりとりをする。
そして少しお喋りをして「またね!」と帰る方式です。
緊急事態宣言が解除されてもされなくても、まだ用心に用心を重ねています。
父のフォローに明け暮れる母
天気が良かったので父を散歩に連れ出すことにしました。
その辺をのんびりと回るコース。
せいぜい30分弱ほどですが気晴らしにはなるでしょう。
母は、私が到着したらすぐに連れて出られるよう父の身支度を整え待っています。
私の帰宅を遅くしないように、という母なりの配慮です。
実家に到着すると母が怒っています。
「これからスズメと散歩よ、と言ってもすぐ忘れて。
お父さん外出用のズボン脱いじゃったのよ。また着替えたりで大変だった」。
父の身支度を終えたのに、母が目を離した隙に部屋着に着替え直してしまったとの事。
こういった類のことがしょっちゅうとのことで、イライラを通り越し怒っています。
ちょっとそこまでの散歩なんだから・・・。
部屋着のまま出ればいいんじゃないの?と普通の人は思うかもしれません。
でも母はちょっとそこまで、でも、部屋着では出ません。
自分だけでなく家族にも出させません。必ず外出着に替えさせます。
お洒落という意味ではなく、外に出たら服は汚くなる。
その服で室内で入ってきて欲しくないという気持ちから。
外と内とはきっちり分けたいと考える、いわゆる潔癖症タイプなのです。
父は、洋服の脱ぎ着は自分でできます。
でも、これから散歩に出るから着替える。今日は風が冷たいからこの服にしよう。
などといった込み入った考えはできなくなっています。
なので母がそばであれこれ手伝いをします。母なりの決めごとを織り交ぜながら。
でも母も昔のようにはテキパキと体を動かせない。
父をフォローすることも本当は疲れるのです。
疲れるならば、色々な自分なりの決めごとを緩めればいいのに・・
と思うのですが性格上それもできない。それで、
まったく、何度言ってもわかんないんだから・・・。
それどころか、やらないで! と言ってることばっかりやるのよ、
お父さんは(怒)
・・・・となるわけです。
父はすぐ忘れる。でも母は懲りずに言って聞かせます。
今回の外出着の件に限りません。日常生活全般の中で毎回行われています。
歯磨きをするとき。
2人でお茶を飲むとき。
食事の後片付けのとき。
母・言って聞かせる→父・忘れる→母・言って聞かせる→父・忘れる→母・言って聞かせる→父・忘れる→母・ついに怒る。
そりゃあ、イライラもするでしょう。しかたないです。
でも、父だって辛いだろうし。お互いに精神的にマイナスでは?
それで私は、母によく言ってました。
お父さんに、色々言ってもそれは無理だと思うよ。
忘れてしまうのが認知症なんだから。本人のせいじゃないんだよ。
お父さんが変われないんだから、こちらが考え方を変えていかないと。
受け容れて寄り添うことは、諦めてしまうということ?
母が何度でも言って聞かせ続ける理由。
私は、こんなふうに思っていました。
父が忘れても忘れても母が言い続けるのは、自分の決めごとを乱す人に寛容になることができない性分だからだろうと。
父が認知症になる前から、それこそ私も一緒に暮らしていた頃から、自分の決めごとを家族に従わせるタイプだったからです。
でも、わかってきました。
母の中には、もうひとつの気持ちがとても大きく存在しているのです。
母は、自分が諦めたら終わりだと思っているのです。
「もうできないから仕方ない」と受け容れてしまうこと。
それは、父のことを諦めてしまうこと。それは失礼なこと。
フォローをすればちゃんと生活できる。
できないから、と緩めたら症状が進んでいってしまう・・・。
母は、長年認知症の方が暮らすグループホームにボランティアに行っています。
そこで自分なりに感じたことがあっての行動をとっていたのです。
情況は刻々と変化していくと思います。
でも今は母のやり方を見守るしかないのかもしれません。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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